そこにいたのは小錦
数年ほど前の話だが、お正月シーズンの出来事である。
自宅近くに比較的大きな商業施設が出来た。アパレルショップやら銀行やらフードコートやら駅ビルでよく見かけるテナントは網羅されており、わざわざ大きな駅に出向かなくて済むと地域住民は大いに歓喜している。それに加え、その日はお正月シーズンだったので入場規制になるくらいの繁盛ぶりだった。
私もご多分に漏れず、ワクワクしながら出向いたが確かにこの混雑も頷ける程、利便性が高い。私が住む地域はここ最近になってドトールコーヒーやら、牛丼チェーン各種が出店し始めた程度でその他特筆すべきところがない僻地なので地域住民が喜ぶ気持ちは手に取るように分かる。
それにあまねくアミューズメント感が楽しく、童心にかえってキョロキョロしながら夢中で施設内を闊歩していた。すると突然、顔面に衝撃を受けて目の前が真っ暗になる。
何事か分からないが仰向けに倒れているようだ。何故こんな事になっている。一旦何が起こったのか確かめようと、視線をあげて私は驚愕した。
目の前にはあの「小錦」が立っていたのだ。
小錦八十吉 (6代) - Wikipedia
どうやら私は彼のお腹にぶつかって吹っ飛ばされたらしい。
小錦は言わずとしれた有名人である。「小」と付けるには些か大きな体と、愛嬌ある笑顔や独特のサンバのリズムで老若男女分け隔てない人を魅了するハワイアン(正確には移民)
突き出た腹は意外にも柔らかかった様で、その弾力でふっとばされたらしい。引退して久しいのでやはりそんなもんなんだろう。
だが手はかなり大きく現役時代の巨漢っぷりを彷彿とさせる。私の頭など、リンゴの如く簡単に握り潰してしまえそうだ。
そして真冬だというのに「アロハシャツ」という常軌を逸したファッションが、特別な存在である事を物語っている。
一瞬の沈黙。見つめ合う小錦と私。構図としてはこんな感じだ。
その時だった。周囲がざわめき始めたのは。
ざわざわという音に紛れて、響き渡る小気味良いシャッター音。
恐らくこの騒ぎに乗じて写真を撮っているのだろう。小錦を撮っているのか、無様に地面に転がっているゴミ同然の私を撮っているのか定かではないが、野次馬達は醜悪な笑みを顔面に貼り付けながら目の前の光景を小さなおもちゃ箱に収めている。突如として沸き立つ羞恥心。これじゃ晒し者も同然じゃないか。
すると小錦は外国人特有の「オーマイゴット」的な動作をした後、騒然とする周囲を軽く諌めいつもの愛嬌ある素敵な笑顔で私に手を差し延べてきた。
もうホント色々な意味で、でかいなこの人。
その後成人している私を赤子の様に容易く引き上げると、ニコッと笑い大きな身体を揺らしながら去っていった。
恥ずかしさの余り会話も出来ず、追いかけるべきか迷ったが周囲がざわめいていた為、軽く礼をしてそそくさとその場を立ち去る。私の顔は羞恥心こそあるものの、とても晴れやかだ。やはり力士は大きかった、身体もそして器も。
私は一生の想い出として、心に残す事を誓った。もし結婚して子供を産み、孫が出来たら
「小錦みたいな人間になれ」
そう話そう。もう何があっても一生ファンでいよう、そう思った。それくらい彼との出会いは衝撃だったのだ。
その後近所の人に聞いたのだが、ぶつかったのは小錦ではなくて
「小錦に似た、ただの巨漢おじさん」だったらしくて戦慄を覚えた。ファンは辞めた。