死を意識するからこそ、人は生を楽しむことができる。
ちょっと前に比べるとタスクを色々な人にぶん投げることができるようになったので、心の余裕が出てきたというか、体力が回復してきたというか、そんな感じで「何かを書きたいな〜」って気分になったので適当にダラダラ書く。
先月くらいまで同時に複数のプロジェクトに首を突っ込んでいたため、タスクが無限なのか?ってくらい際限なく降ってきて「何かを書く時間がない」ってより、「回復する時間がない」くらいで空いた時間を貪るように休息に充てていたことを覚えている。
とは言っても、それが嫌いなわけではなく好きでやってるんですけどね。
人がなにかを理解するのって相反するものに気づいたときが多いじゃないですか。
「光があるから影の存在に気づいたー」とか、「いつも隣にいたアイツと離れてみて、初めて愛しているとわかった」とか、「1回外に出てみたら部屋が思いのほか男くさかった」とか。
だからこんな感じで消耗していると、逆説的に生を楽しむことができるっぽいんです。
人間が「生」を最も理解する瞬間っていつだと思います?死ぬときだと思うんですよね。
そう思い始めてから僕は、忙しくて脳に汗かいててちょっと意識が朦朧としていて「死」という概念が足音立てて近づいてきた瞬間が割と好き。
「死」を認識するからこそ、「生」の尊さを意識できるのだから。
『嘘喰い』という漫画の主人公が命がけのギャンブルをしている最中に
死を目の当たりにしている時ほど…その死がリアルであればあるほど 人は生を実感できる
俺は今とても生を実感している
生きてる〜〜って感じ… 死にたくない… 生きたいって感じだ
と語っていたのだけど、これを見たとき自分の中で言語化できていなかった部分をサラッと言われた気分だった。
まさにそう。それそれ。人は、僕らは、なかなか「生」を実感できず当たり前だと決めつけていることが大半です。もっと言うと、自分は死なないとさえ思っている。
でも、人間は死ぬ。意外と簡単に。
そばをサッとお湯に通すくらいお手軽に死ぬ。
日本にいると、自分がいかに恵まれた環境にいるのかってことを忘れちゃう気がするんですよね。現に今この瞬間だって知らない誰かが死んでいて、それがいつ自分になるのか分からないんだ。
だから、僕は死を意識したい。死を知ることで、生を知りたい。生を楽しみたいんだ。
さっきお風呂で寝ちゃって、危うく窒息しそうになった僕が言うんだから間違いない。うわ、マジで生きてるわー、生尊いわー。
お風呂で睡眠、ダメ。ゼッタイ。