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自省log

毎日5分をムダにしたな。と思えるブログ

「ごちそうさま」のハーモニーが私を変えた。

真面目に書いた 小話ネタ 日常系ショートショート

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件の「ごちそうさま」記事を拝見して思い出したので書く。学生時代の話である。

当時私はちょっとした挫折を経験をしており、人生に少しばかり嫌気が指していた。

「人生なんて詰まらない。くだらない現実が続くだけに決まっている。」

そんな事ばかり考える生産性のない毎日。

ただこのままじゃいけない。何か変えなくちゃと考えた結果、思いついたのは
いつも食べるお店などに対し、日頃の御礼を兼ねて「ごちそうさま」をしっかり言おうだった。

詰まらない人生に軽くスパイスを振るくらいのちょっとした心がけ。
今まで言ってなかったわけじゃないけど、意識して「ごちそうさま」を言う事で自分の中の何かが変わるんじゃないか。そんな事を本気で思っていた。

実際やってみると結構面白いもので気持ちも良いし、優しい気持ちにもなれる。
なんか毎日だらだら生きて、ただ何となく食べていた頃に比べてご飯もずっと美味しいのだ。

だが少し時間が経つと元来調子乗りの私はただ単に「ごちそうさま」と言うだけでは満足できず"いかにカッコいい声で言えるか"みたいなくだらないことを考え始める。

」「」「」「」「」「とその一文字一文字を深く味わいながら言ってみようかな

とか

声は腹から出した方が、声量が高まるな。意識してみよう。

とか

奥の店員さんに伝えるには低い声で言った方が伝わり易い気がするな。

みたいにトライアンドエラーを繰り返し、少しずつ自分にとって最高の「ごちそうさま」を形作っていく。
最終的には麒麟の川島みたいな声でごちそうさまを発するまでになっていた。文字で表すなら「ごちそうさま」ではなく「御馳走様」だ。

牛丼屋さんとかラーメン屋さんで、いきなり隣のやつがいやに低い声で「御馳走様」と言い出したらさぞかし滑稽だろう。
今ならそれくらいは分かるが、当時は若気の至りだったのかその恥ずかしさに気付けない。

そんな滑稽な私はその日行きつけのラーメン屋さんで食事を摂っていた。いつもの様に器をカウンターに戻して席を立ったくらいで「御馳走様」を発する。聞き慣れた音程、今日もバッチリの重低音だ。

しかしその日はいつもと違っていた。
隣でラーメンを食べていたおじさんが、ちょうど全く同じタイミングで「ごちそうさま」と言ったのである。

「御馳走様」

「ごちそうさま」

私の御馳走様は低音を意識したもの。対して隣のおじさんはちょっと声が高かったみたいで比較的高音のごちそうさまだった。
その瞬間、低音と高音の「ごちそうさま」に奇跡が起こった。ハモったのだ。

たった6文字の言葉が奏でる極上のハーモニーが店内に響き渡り、店員さんと他のお客さんも振り返る。なんかとてつもなく恥ずかしい。

だが私の恥ずかしさを他所におじさんも、他のお客さんも、店員さんも皆笑顔だ。そんな彼らを見て、私も気付けば笑顔になっていた。
どんな理由で笑っているのかはそれぞれだがそこには笑顔しかない。私はその瞬間、これが"私の生きる目的"なんだろうなと思った。

場を包む連帯感を伴って、私とおじさんはお店を後にする。
お店を出た私たちは、どちらからともなく顔を見合すとニッと口角を上げ

「やってやったな」

と声なき賞賛の言葉を交わした。

人生なんて詰まらない。くだらない現実が続くだけに決まっている。私はそう思っていた。
だが私とおじさんが紡ぎだした「ごちそうさま」のハーモニーは、ほんの一瞬だが確かにそこに笑顔を見出し、私を変えたのだ。
私は歩きだす。それは本当に些細だけど人生を変える希望の一歩だった。

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