「自由に書ける場所」があるのってすごく良い。
最近ブログを再開して心底思うのは、「自由に書ける場所」があるのってすごい良いよねってこと。
LIGブログは多くのユーザに見てもらえるチャンスがある反面、「メディア」として確立しているのでゴミみたいな記事を書くと
「LIGはどうした大丈夫か?」
「LIGってこんなの載せちゃうんだ」
「よく編集部通ったな」
みたいな反応がどうしてもあって、テスト的なエントリを書くことに躊躇してしまうです。
僕がやりたい世界観である、"どうでもいいことを楽しむ"というスタンスはなかなか数値も伴わなくて、やっぱり肩身が狭くはなっちゃう。まぁ当然ですよね、結果が出ていないのだから。
ただ僕ってその辺結構、敏感に感じとっちゃうタイプじゃないですか。その空気に耐えられないから終始無言で下を向いて、左腕の毛を毟る生活を送らなきゃいけなくなるわけですね。こうなると、後戻りはもうできません。
左腕の毛ばかり毟っていたために、右腕とのバランスがどうしても気になってしまうわけです。
左腕は、「腕毛の処理をミスった女子」くらいの毛量となっているのですが、右はまだ未開の地なので生きの良い新芽がかなり残っている。ここまで来ると、人間ってのはまぁ不思議なもので右腕の毛を毟りたい衝動に駆られるんですよね。
するとどうでしょう。そうこうしている内に、左腕の毛が生え始めるではないですか。
もうお分かりですね、腕毛毟りスパイラルの完成です。
日本人は協調性を重んじ、右に習う生物だと言われています。
「並列的な学校教育が原因だ」
と、昔テレビでお偉いさんが怒っていたのですが、その根底には日本が「平和」なことを当たり前だと思っている我々の甘さが潜んでいるのでは。と、僕は睨んでいます。
もし日本が紛争地域だとしたらどうでしょう?もし常に死と隣合わせの環境だとしたら。果たして協調性など重んじられたのでしょうか。
否、生き抜くには戦い、勝ち、奪うことが必須であり、恐らく「協調」や「バランス」などという概念は生まれなかったはず。
つまり私が毎日のように腕毛を毟ることができるのも、今日本がこれ以上ないくらい平和なことの証明に他ならないのです。
私たちは、感謝しなければなりません。
先人の汗と涙の集大成により今こうして腕毛を毟れることを。そして、明日も毟れる日が続くことを。
これからもずっと腕毛を毟れるよう日本が平和であることを祈るばかりです。
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以上。
多分だけど、こんなことをLIGブログに書いたら
「LIGは大丈夫か?」
って心配されるので、やっぱ自由に書ける場所があるって良いよね。