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自省log

毎日5分をムダにしたな。と思えるブログ

人が持つ運の総量は決まっているからと前向きに生きる

GW前でお休み気分だというのに、先日から緊急トラブルでのんべんたらりと過ごせなくて辟易しているんだけど、よくよく考えてみると僕は昔からここぞという時の「予期せぬエラー」が多かった気がする。

  • スカウトがかかった大事な試合の直前に、車が弾いた石で足損傷して進学オジャン
  • 色々なものをかなぐり捨てプロポーズしようとした人がその直前に許嫁と結婚
  • どうしても合格しないといけない試験の直前に親族危篤ラッシュ

これらは人生の岐路に差し掛かるタイミングで舞い込んできた、予期せぬエラーだ。これにより僕の人生は大きく変わった。

選択をして失敗したとき別の可能性を後悔することはよくあることだけど一方の選択肢を一方的に遮断されてしまうのもなかなか辛いものである。

これは単純に"僕自身に運がない"からなのだろうか。当時は「なんで今なんだ」と心底思ったし、自分の不運さを呪ったものだけど最近は少し気持ちが変わってきて

人間が持つ「運の総量」は決まっているから、今は運を使うべきじゃないと選択したんだ

と思うようにしている。

「運が悪い」ではなく「運を使わなかった」との強引な解釈。そうすることで今までも、今も、これからも起こった運のない出来事を将来のための運の貯蓄と捉えることができるんじゃないか。

もちろん消化できずに人生を終える可能性もある。運がないから志半ばでこの世を去ることになるかもしれない。それは分からないけれど、そう考えることで気持ちが少し軽くなった。

昔何かの記事で、僕はギャンブルをやらないと書いたことがある。これは前述の通り「運の総量」が決まっているなら、それを使ってしまうのは勿体無いと思うから。人生だってギャンブルみたいなものなんだ、無闇に使いたくない。

世の中で成功を収めている人の大半はこの運の運用が上手いのだと思う。
物事に対して弛まぬ努力をし、それに負けないくらい備えてそして、運を上手く使いこなせる人が勝つ世界。

運が良くなることを願うんじゃなくて、運を運用して初めて自分が願う場所にいけるのではないかという全く確信のない人生の処世術である。
ただそういう気概を持って生きていったら、僕の人生はどんなことになるのだろう。そんなことを最近は結構楽しみにしている。

まぁ僕なんかに比べ、もっともっと辛い人生を歩んでいる方はいらっしゃるので、今こうして普通に生きられている幸運だけで運のキャパオーバーなのかもしれないけど、そうなったらそうなったらで残りの人生をギャグみたいな感じで生きるだけだ。

そんな感じで現実逃避したくて色々書いたんだけど、最後に一つ書きたかったのはサーバ運用もギャンブルみたいなもんだろってこと。以上。

強運

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強運が舞い込むとても小さな50のこと。 (SB文庫)

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