バレンタインと聞くと私の胸は苦しくなる。
2月14日バレンタインデー。製菓業界の策略とは言え、今や恋人たちが愛を語らう不動の一日だが私はここだけの話バレンタインと聞くと決まって胸が苦しくなる。
羊水をがぶ飲みし、へその緒で雁字搦めになりながらこの世に生を受けてもう四半世紀以上。そんな生まれ方をしているだけあって「モテる」という現象から程遠いところで人生を送っている私は、常にモテる人間を羨ましく思いながら生きてきた。イケメンの親友にさえ、羨望の念を抱くほどに。
それに忘れたくても忘れられない思い出もある。私にとってバレンタインは今までもこれからも胸を苦しめる1日になるのだろう。
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懐かしき小学校時代のバレンタインデー。皆がチョコレートを貰えるかで色めきたっている最中、私は密かに勝ち組の気分を味わっていた。
"学年で最も人気のある女子"が私にチョコを渡すつもりだという噂を耳にしたからである。同級生のいらぬおせっかいで発覚したのだが、私にとっては正しく福音に違いない。
彼女は小学生ながら、図抜けた美人だった。文武両道、才色兼備。とにかく笑顔が素敵な女の子。幼い頃なので多少の美化は否めないが、老若男女別け隔てなく好かれるタイプだと思う。
そんな子が私にチョコを?その日の授業は全く身が入らなかったことを覚えている。何しろイケメンの親友も、彼女のことが好きだったからだ。
今まで一度も勝てたことがなかった彼に、唯一誇れるものができる。そんなことを思うと自然に口角も上がったものだ。
「一旦家に帰ってチョコを持って行くらしいよ。」
おせっかいな同級生がそう教えてくれたのは帰り際、私はいの一番に帰宅して彼女の訪れを待つことにした。
しかし現実はそう甘くないもので彼女は待てど暮らせどやってこなかった。時刻はもう17時。彼女はやってくるのか、それとも来ないのか。
17時半、18時。残酷にも時間ばかりが過ぎていく。それに腹も痛くなってきた。
私は18時半を回った段階で、諦めることにした。もう流石に来ないだろうと思ったし、何より腹が痛すぎて我慢の限界だったからだ。
だがトイレにこもり、堰き止めていた強張りを解放したその瞬間
ピンポーン
無情にも誰かの訪れを知らせるチャイムが鳴り響く。言うまでもなく彼女だった。
喜びを感じるのと同時に、激しい憤りがこみ上げてくる。何故今なのかと。何故こんな大事なときに私はトイレにいるのだと。私から彼女を引き離す、ほんの些細な神の悪戯。
こんなに近いはずなのに彼女が遠い、チョコレートが遠い。今なお私はチョコレートを生み出し続けているというのに。
結局親が代理で受け取り、彼女と顔を合わせることなくバレンタインは終わり告げる。その後、彼女とは気まずくなったまま小学校を卒業してしまった。手作りチョコはちょっぴり大人の味で、身にしみるほど苦かった。
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あれから15年余り、私はバレンタインと聞くと決まってあの日のことを思い出す。もし私があの時彼女のチョコレートをこの手で受け取ることができたら、私の人生は何か変わったのだろうか。
チャンスは誰の元にも、何らかの形で現れる。それを掴めたか、掴めなかったかがターニングポイントなのだ。人生にはどんな時だってその二択しかない。
あの時彼女を信じてもう少し待っていれば。そんなことを考えると、胸はフツフツとざわめき苦しくなってしまう。無益だと分かっていても。
私達は大人になった。しかし今もあの笑顔がまるで精巧な絵画のように私の脳裏に張り付いている。彼女は愛する人にどんな笑顔を振りまいているのだろうか。本当のところをうかがい知れることはもうない。
彼女は先日、イケメンの親友と結婚した。
私が掴むことのできなかった翌年のバレンタインが二人の馴れ初めである。