私はキャバ嬢みたいなもんだし、このブログはキャバクラだった。
元上司は昔からキャバクラが大好きだった。あの忙しい業務の中で、どこにそんな余裕があったのか分からないが、時間を見つけてはお気に入りのキャバ嬢に時間とお金を投資し続けているのだ。
そんな上司に一度、何故そんなにキャバクラへ通うのか聞いてみたことがある。
曰く日頃の疲れや鬱憤を「癒してもらっている」とのことだった。そうキラキラした瞳で語る上司に偽りの心は感じなかった。
キャバクラに通う人の目的は千差万別だ。ただ愚痴を吐きに行っている人、気に入ったキャバ嬢を口説こうとしている人、また元上司のように癒しを求めている人もいるかもしれない。
私はお酒も弱い上に、愚痴を言うタイプでもないのでキャバクラにいくことは付き合い以外ないのだが
「キャバ嬢は癒しを提供している」旨を聞いた時、目から鱗のようなものが大量に落ちた感覚を覚えた。
毎晩のように”誰かを癒している“これは途轍もないことだからだ。
この世に毎晩知らない人々を癒せている人間がどれだけいるのだろう。キャバ嬢は最も原始的だが、偉大なエンターテイナーなのだ。
もちろん別の目的(具体的に言えば高い給与)のためにキャバクラをやっている人だって多いとは思う。だがエンターテイメント性を「手段」でなく、「目的」にできている人なんてほんの一握りに過ぎない。彼女らは何も間違っていないのである。
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私はこのブログを立ち上げてから、今日に至るまで
「このブログを見てもらい、脱力して日々の疲れを忘れてほしい」
との想いを込めて運営してきた。それが上手くいっているのかは分からないけれど、その気持ちは今も全く変わらないしこれからも変わることがないだろう。
だからコメントやブコメで「楽しかった」「面白かった」そう言ってもらえれば最高にハッピーだし、例え愚痴のようなコメントや罵倒されるブコメであっても、ただの一つも欠けることなく目を通すことができる。それは自身が求めたものなのだから。
私は誰かのエンターテイナーになりたいのだ。
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そう改めて考えてみると、私はもはやキャバ嬢みたいなものなのではないかと思った。目的になりきれない、手段としてのエンターテイメント性を手に日々誰かを癒すために生きる。
すなわち
ブログを書いている私=エンターテイナー=キャバ嬢
という図式だ。
そこから更にロジカルな感じで思考を進めてみると
ブログを書いている私=キャバ嬢
このブログ=キャバクラ
という解になる。
「私はキャバ嬢みたいなもんだし、このブログはキャバクラだった。」
気づいてなかったけれど、そんなことになっていた。
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成功するキャバ嬢は皆、お客様を「主人公」にできる。
そんな言葉をどこかで聞いたことがある。
これこそがキャバ嬢の、そしてエンターテイナーの真髄。本当のエンターテイナーは「感動」を与える人間ではない、「感動した自分」を体験させられる人間なのだ。
そのためにできることはまだまだたくさんある。むしろ、できることの方が多いくらいだ。そんなわけで取り敢えず、キャバ嬢風に髪を盛るため今一生懸命髪を伸ばしている。(不毛)