自省log

毎日5分をムダにしたな。と思えるブログ

僕は今まで心にブランケットをかけて生きてきた。

僕はいつの日も、いくつのときでも心をさらけ出さないように生きてきた。小さい頃に誰かから「心を開けばいつか裏切られる」そう教え込まれたからだ。

心を開くこと。すなわち心の距離を他人に近づけることは有益な人関関係を作る上で不可欠である。だから僕たちはお互いに胸襟を開きお互いの存在を認め合って関係を作っていくのだが、それを永続的に担保するのは作ることより遥かに難しい。環境や自身の心の変化によってその距離は次第に離れ、伸びきった末にどこかで断絶してしまうのだ。僕はそれがいくつになっても怖い。

もし掃除機のコード収納ボタンのようにワンタッチで距離を縮められたらまた違った関係を作れるのかもしれないが人間はそう器用にはできていないもの。
ならばその心を見せないようにして一切そこから出さなければいい。もちろん関係性は少なくなるし、希薄な繋がりばかりになるのが目に見えているけれど少なくとも"関係性が断絶される"というダメージは少なくなるのではないか。

「心にブランケットをかける」僕は心を内から出さないこの行為をいつからかそう呼ぶようになった。いつ呼び始めたかは分からない。今かもしれないし、昨日かもしれない。もしくは僕が生まれたその瞬間かもしれないけれど僕は心にブランケットをかけ続けているのである。

ブランケットは温かい。暖かいではなく、温かい。冬場の激烈な寒さの前では享受できるものも減ってしまうが、常に肌に触れるその温かさはまるで母のように優しく、父のように強いのだ。

でも今僕は人生の岐路に立ち、このブランケットを脱ぎ捨てるべきだと思っている。これからはブランケットを外し、ありのままの心でありのままの姿で歩いていかなければならないと思っている。どこかの雪の女王がそう口ずさんでいたけれど僕も全く同じ気持ちでブランケットが保ってくれた温かさを引き換えに、社会という名の極寒の雪国でありのままの自分をさらけ出して自分の人生を切り拓かなければならないんだ。

本当の意味で心をさらけ出せば裏切られることもあるかもしれない、関係性が途切れてしまうこともあるかもしれない。でもそんな先のことばかり考えてたらブランケットを捨てる意味が無い。心をさらけ出す意味が無い。
僕は心のブランケットを脱ぎ捨てる。弱くてちっぽけな人間が、強くて大きな人間に変わるために。人生の善し悪しなんて誰にも分からない。だから信じる今を生きるんだ。

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っていうあらすじの小説を考えたんだけど、全然面白くなさそうで泣きそう。もう嫌だこんな生活(心にブランケットをかけながら)

お題
「ブランケット」「心の叫び」