私と美容師のジハード
以前髪を切った時の話である。その日買い物に出かけていた私は、ふと髪が切りたいと思った。
基本的にその瞬間に思った事を成し遂げたい、ワガママな人間なので
事前に予約する訳ではなく大体パッと目についた美容室に入る事が殆どだ。その日も「やってるー?」と門を叩くと日曜だったが、どうやら空いているらしい。
担当の指定は出来ませんがよろしいですか?
と聞かれ「バッチコイ!」と返事して10分程待っていると、颯爽と美容師さんが現れた。
「本日担当させていただきます、◯◯です。宜しくお願いします。」
年齢は20代前半の女性、美容師さんらしくとてもオシャレで笑顔が素敵。
着座するとすぐに「今日はどんな風にいたしますか?」と小首を傾げながら問い掛けてくる。天使の様な笑顔だ。 一瞬心を持って行かれそうになったが努めて平静を装いながら応対する。
しかし改めて言われてみると自分は髪をどうしたいのだろうかと思った。
なんとなくカッコ良い髪型にして欲しいな。という気持ちはあるが、それを上手く言語化する事が出来ない。
結局よく分からないまま最終的に「全体のバランスをいい感じに整える」と言う
すごいフッワフワな方向性で決着した。
とは言っても彼女もプロだ。まだ若そうだがその辺は上手くやってくれるに違いない。
そんな根も葉もない安堵感に浸りながらカットは始まった。この時私は気付けば良かったのだ。これが"終わりの始まり"だった事に。
はじめは他愛もない雑談をしていたのだが、次第に瞼が重くなってくる。すると、見透かした様に
「眠かったら寝ちゃって良いですよ~。終わったら起こしますね!」
と天使の様な笑顔で奨められた。デキる天使である。顧客のニーズをくみ取り、さり気なく満たす。これこそがサービスの真髄。彼女になら全て委ねて大丈夫だ、そう判断し眠りにつく。
―――それから何分立っただろうか。
カットが終わったと告げられた私はハッと目覚める。体は少し気だるかったが安眠感がなんとも心地好い。しかしどんな風に仕上がったかなと鏡を見てその安息は一変した。
なぜかヘルメットを被った私が目の前にいるのだ。
往年のふかわ氏を彷彿とさせる「ヘルメットヘッド」毛先は完璧に揃えられ頭頂部はこんもりしている。
確かにバランスは整っているがしかし。彼女は「どうですか~?」とまた小首を傾げた。さっきまで天使だった笑顔が、心なしか悪魔の微笑に見えてくる。
一気に脱力した私は、なすがままシャンプー台へ。
途中「痒いとこありませんか?」と聞かれたので全体的に歯痒いんで、もうトドメを刺して下さい。とお願いしようと思ったがやめた。
もしかしたら髪が濡れれば少し違うかもしれないと考えたからだ。シャンプーが終わり席に戻る。
目の前には相変わらずヘルメットを被った私が平然と佇んでいた。なんたる強度。これならどんな戦いも乗り越えられそうだ。
「アタシは似合うと思うんだけどなぁ」
悪魔だ、悪魔がいる。ヘルメットを被った私と不敵な悪魔が鏡越しに相まみえた。
私はこの経験で以下の事を学んだ。
・髪を切る時はちゃんとした準備が必要
・美容室でフワフワな注文をしない
・寝るのは禁物
・正義と悪は表裏一体、天使は時として恐ろしい悪魔になる
失敗は成功の母。もう同じ過ちは二度と繰り返さない。私は必ずやこの悪魔にリベンジすると決意した。
もはやただの散髪ではない、私と美容師のプライドをかけた聖戦なのである。
もうすぐその時がやってくる。開戦は近い。