子供の純粋さを見て、自分の汚さに気付いた。
著者:a4gpa
その日私はバスに揺られて神奈川の片田舎を走っていた。
お客様の元に訪問する予定だったからだ。さっきまでボーっと仕事のことを考えていたのだがどうやら眠ってしまったらしい。
ふと前の席に目をやると、年端もいかない男の子と若めのお母さんが座っており
男の子は私の方を凝視しては、お母さんに何かを話しかけている。
しゃべり方を見る限り、年齢的には3歳くらいだろうか。この年頃の子供は様々な事柄に興味を抱くのである。
私は「子供が好きか」と聞かれれば好きだし、欲しいと答えるが正直誰彼構わず子供なら無条件で大好きだと言えるほど、器の大きい人間でもないので子供となるべく目を合わさないようにする。
今はとにかく目の前にある仕事ばかりを考えていて、別のことに気が取られるのも癪に触るくらい視野が狭くなっていた。
すごく言葉が悪いけれど、邪魔するなくらいの感覚は持っていたと思う。なんとも大人げなく、小さい人間なんだろう私は。
しかし男の子はそんな私を気にせず凝視し続けており、仕方がないので実力行使に出ることにする。「こっちを見るなよ」という意志を込めて睨みつけるのだ。
そう決意した私は、精一杯目を見開いて彼に視線を向ける。だがその瞬間私は雷に打たれたような錯覚を覚えた。彼の瞳がとても綺麗だったからである。汚れを知らない、まっすぐな瞳が私の心を射抜く。純粋無垢な彼に対し、自分の汚物具合が際立った瞬間だった。
この世に生を受けて、20余年。なんとなく生きてきた今までの人生だったが
気付けば社会のしがらみに屈しウソをつき、愛想笑いを顔面にペーストして無益な毎日を消費している。
純粋な気持ちで笑ったのはいつだろう。純粋に楽しいと思えたのはいつだろう。
目の前の彼はそんな大人の汚さを知らない、まるで天使のような存在なのである。
人は自分で見たいものだけを見、聞きたいものだけを聞く都合の良い生き物だ。
あたかも自分が汚れていないかのように感じ、見えないフリをして何も考えず生きている。
だがこの瞬間、目の前にいるこの子供の純粋な瞳に照らされて、私の綺麗な側面にスポットライトが当たった気がした。そして、自分の汚さに気づく。
カレンダーが剥がれ綺麗な壁が見えると、途端に他の汚れが目立つように私の心もまた、彼の純粋さに当てられ汚れ散らかった大部分が見えたのだった。
私は泣きたくなった。彼に比べて自分が汚かったからじゃない、自分が薄汚れていたことに今まで全く気付かなかったからだ。自分が汚れているなんて気付きもしなかった、気付かずどんどん汚れを溜め込んでいた。
私は変わらなければならない、蓄積した汚れを少しずつ落とすように。
何にでも興味をいただくキラキラした瞳を取り戻すために。
そういえばさっきからずっと顔に違和感を感じる、この顔を伝うものはなんだ。
分からないけどきっと涙なんだろう。私は変わると決めたのだ。
その決意の涙が流れているに違いない。そう思いながら、顔に触れてみる。
よだれだった。