自省log

毎日5分をムダにしたな。と思えるブログ

人生は太陽に似ている。

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一瞬の景色

ある休日の話である。その日暇だった私は、少し離れた大きな公園に散歩をしに行く事にした。季節の頃は秋だっただろうか。残暑も幾分和らぐ時期だったが、今日は想像以上に暑い。
夏の太陽はもう相当に鬱陶しい存在で、いい加減にして欲しいと常々舌打ちをしていたものだがしばらく休んでいたかと思ったら今日はまた随分とぶり返している様だ。だがこのまま部屋にずっと篭っているより良いだろう。

私が向かった公園は全面が緑に囲まれており、日差しがかなり緩和されるからこう言う日にはもってこいである。時折風が吹き込み汗ばんだ全身を洗い流してくれた。あぁ気持ちいい。
そう言えば月末になると私はよくここに来ている気がする。

公園に入って私は水道水を思いっきり飲んだ。普段はあまり飲まないが、こんな日に飲む水道水は格別だ。喉を潤した私はふと目をあげて公園を見回す事にする。
東側を見てみると鉄棒、ジャングルジム、滑り台など幼少期に夢中になっていた遊具が見える。
今も幼い頃の私の様に子供達が楽しげに遊んでいる。
かたや西側はゲートボールだろうか。大きな敷地の中でチームを組み何やら交互にボールを打ち合っている。私にはまだゲートボールの面白さが分からないが、お年寄りを夢中にさせる何かがあるのだろう。
将来私もそれに気付き、目覚めるのかもしれない。

さてちょっと疲れたし、休憩しようかな。私は近くにあったベンチに腰掛けた。
このベンチは公園の真ん中に位置し全体を俯瞰して見渡す事が出来る、格好の人間観察スポットだ。
少し首を右に傾ければ、先ほどの遊具で遊ぶ子供達が。少し左に傾ければ、ゲートボールに興じるお年寄りが見える。私が座っているここはすなわち、「過去」と「未来」が交差する「現在」である。
自分でも何を言っているのかよく分からないが、聞いて欲しい。

太陽が上り、下っていく様は人生に似ている。人は太陽が上るように成長し、下りながら人生を終える準備を整えるものだ。
全てのものが新鮮に見えて、目の前がまるでペイントソフトで装飾された絵画の様にキラキラと輝いていた幼少期は「上り」毎日が目まぐるしく過ぎて、生きる事にいつも真剣だった。

それでは「下り」はどうだ。いずれ誰しも平等にやってくる老年はその人がどんな道を歩いてきたかで決まる。30年、40年後私はどんな人間になっているのだろう。
ゲートボールに夢中になっているあの人達を見て、こんな老後を過ごせるのだろうかと溜息が出た。
今私はその中間。これからが最も高く輝く時である。

だが今の私はどうだ。何かに夢中になって生きているか。幼かったあの日の様に後先考えず全力で走れているか。答えは残念ながらNO。
常に何かに縛られ、制限され、窮屈な姿勢で日々宛もなく歩いている。何にかにつけ有益か否かばかりを考え次第に道が見えなくなっている。
じゃあどうする、どうすれば変われる、どうすれば前に進める、どうすれば良い、どうすれば。
そうだ少し眠ろう、人生が変わる事を夢見て。時が過ぎ行く事を夢見て。

そんな事を給料日までお金がなくて暇だったから色々考えてみたけど、やっぱりお金がないと人ってワケ分かんない事考えるんだな。このまま公園で3日くらい寝て給料日を待とう。電気も水道も止められてるし。

日常お題ったーよりキーワード
うたた寝」「屋外」