自省log

毎日5分をムダにしたな。と思えるブログ

人間関係って結局、どれだけ与えられるかだと思うんだよね。

仮に「人間が好きか?」と神様に問われて、天に拳を突き上げながら「人間が心の底から好きだ」と答えられる人間が何人いるのだろう。

僕が公の場でそう問われたら「はい、好きですよ(ニッコリ)」と答えるでしょうね。そして、「みんな大変だけど頑張ってる、いい人に囲まれていて幸せ、だから人間が好きなんです」そう、うそぶくに違いない。周囲の人が見ているから。そのときの顔はきっと相当に醜いものだと思います。

人間は根本的に醜い

僕はそんな持論でもって今を生きている。人間には欲求というものがあり、欲求は往々にして醜いものなのだから。

ただし、絶望しているわけではないですよ。これはむしろ希望寄りです。

僕を含めて、すべての人が持つその醜さこそが“人間らしさ”であり個性だと思っているだけなんです。その醜さとどう折り合いをつけるかを勘定し対面すべきかを考える、つまるところ人間関係とは醜さとの向き合いなんだと思っているんですよ。

そんで、やっと表題に戻る感じの駄文なのですが「人間関係ってギブアンドテイクだ」って誰かが言ってるじゃないですか。

心理学の『返報性の原理』とかいう難解な原理を知ってます? なんか与えたら返ってくるみたいなのあるじゃないですか。これね、返ってこないんですよ。何も。それを期待しているうちは。

どんなに与えても返ってこない。もちろんたまには返ってくるけど、期待している以上には返ってこない。だって人間って醜いんだもの。

人間は忘れる、与えられた喜びも価値も、その人に返そうとしていた恩義も。期待したって返ってこない。だって人間って醜いんだもの。
  
だから、僕は与え続けられる人間になりたい。
  
与えて、与えて、与え続けたい。見返りなんて期待するな、世界が自分に微笑むなんて思うな。でも与え続ける。

与えて、与えて、与え続けろ。そして、それを忘れろ。可能性なんか感じるな、そこに幸せなど求めるな。でも与え続ける。

そうしているうちに見えてくる。素敵で尊く、なによりも美しい人間関係が。見返りを求めて与えるだけではダメだ、ただひたすら愚直に与え続けてはじめて少しだけ何かが返ってくるんだ。


人間は基本的に醜い

僕はそんな持論でもって生きている。損得や打算を抜きにして与えられる神のような人間などいない。

だから醜く生き続ける、泥にまみれて美しいほどに醜く与え続けて生きていく。それが隣の誰かを笑顔にする第一歩であり、僕の笑顔になると思うから。

でも、まぁたまには返ってきてほしいよね。誰かくれないかな、600円(醜い)